深谷山一心院 箱泉寺?その2
伊達藩の時代には、奥州17か寺の一つに数えられ、幕府の巡見使がたびたび入山休息したということです。仙台藩主・伊達慶邦も立ち寄った。殿様の代理である巡見使が来るとうことはめったにないことで、このため、箱泉寺にはかつて、普通より三尺高いところに床の間をつけた上段の間があり、巡見使などが休憩する時に使われたということです。
また、貴重な文化財も残されています。その一つが菊の紋章が8個もついた駕籠です。明治時代に入って廃仏帰釈により、塩竈神社の別当寺だった法蓮寺が廃寺になりました。そこで、時の住職、運情和尚は箱泉寺に移されました。その時に乗ってきたのがこの駕籠です。伊藤博文の書や三条実朝の書も持ってきました。
それが今ではこの寺の宝物のようになっています。「法蓮寺は奥州一ノ宮塩竈神社の管理者。そこには権力、財力がありました。明治政府の国策遂行のため法難の憂き目にあった」と語る川村住職。昔の古文書も数多く保存されていたといいますが、明和初期(1760年代)に起きた山火事で焼失してしまったという。太平洋戦争が始まる前までは、樹齢800年の杉の木が30本以上あったといいますが、戦争のため村に供木の命令が出され切られてしまったのだという。