ムサシの足音
わが家では、ムサシが常に行き来できるよう殆どのドアがあけっぱなしにしてあります。特に私の部屋は、少なくともムサシが出入りでき程度の幅は何時でも確保しています。それでも彼が茶の間でぐっすり寝込んでいるので、大丈夫と思って締めたりすることもありましたが、彼はすかさずやってきて扉を開けるよう要請します。
といっても、別に声を出すわけでもなくただ静かに扉に手をかけるだけです。ただ、その前にあのひたひたという足音が聞こえてくるので、その時はこちらも心の準備ができています。扉を開けると真っすぐに自分の指定席に向かい、何事もなかったような顔で横になるのです。彼はイレギュラーなことが嫌いだったのです。
何時もと変わりないことを確認することで、平穏な生活を確かめたかったのかもしれません。今もムサシは私の傍にいて、何時でも会話できますが、あのひたひたという足音だけはもう聞くことはできません。私たちにとっては心臓の鼓動にも似たあの穏やかな響きが、何とも心地よく、精神安定剤の役割をしていたのでした。