陸奥国分寺
国分寺とは741年(天平13年)、聖武天皇の発願により全国60余りの国分尼寺とともに建造された官寺のことです。奈良の東大寺はその中心の寺であり、大仏建立の際には涌谷から産出されたわが国最初の金が使用されました。陸奥国の国分寺は現在の木下(仙台市宮城野区)に置かれました。創建当時は七重の塔が高くそびえ、七堂伽藍が並び、坊300を数える大寺院であったそうです。
その後落雷と源頼朝の奥州征伐ですべて失ってしまいますが、1605年(慶長10年)伊達政宗が現在の薬師堂と仁王門、鐘楼を再建しました。木下の通りからやや奥まった所に、小振りの仁王門が見えます。藁葺き屋根が美しく宮城県の文化財に指定されています。ここはかつて南大門があった場所で、この仁王門をくぐり抜け境内に進むと右手に大きな鐘楼、正面に薬師堂があります。
薬師堂は5間四方で、大きな屋根を載せた仙台を代表する桃山建築です。鐘楼の裏手には、桜の古木に囲まれた七重の塔の基壇が残されています。薬師堂の隣にある白山神社は、創建当時より祀られている古社で、本堂は県の指定文化財です。広い境内に残された礎石の数々は、天平の大伽藍の威容を伝える静かな佇まいです。