鯛と波頭 笹かまぼこ販売一筋五十年
株式会社 すゞき物産
トップページへ
商品案内
会社案内
リンク
 店長の blog
<   2010年3月   >
日 月 火 水 木 金 土
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

  • おかいもの
  • ちょっと一言
  • みやぎの見所
  • わが家のムサシ
  • イベント情報
  • オープンご挨拶
  • キャンペーンご案内
  • ホットな出会い
  • 一期一会
  • 大震災
  • 美味しいもの情報

招き猫
powered by Movable Type Movable Type 5.2.10

<<登米のはっと伝説 | ブログTOP | 忘れられないあのしぐさ >>

石巻市鋳銭場跡

江戸幕府は貨幣経済の急速な発展に対応するため、寛永13年(1636年)に寛永通宝の鋳造をはじめ、通貨の統一を図った。江戸時代の貨幣鋳造は幕府が独占していたが、標準貨幣となる「寛永通宝」を増産するため、江戸時代初期に仙台藩も含めて全国8か所に鋳造を許可しました。石巻市の鋳銭場もその一つということになります。

仙台藩では、はじめ栗原郡の三泊で作られていましたが、享保13年(1728年)には石巻に銭座が移されました。石巻が選ばれたのは、河港で燃料や原料が調達しやすく、さらに製品の運送に便利だったからでしょう。石巻で鋳造した貨幣は一文銭で、当初は表に「寛永通宝」、裏には「仙」の一字をつけた青銅銭だった。

天明4年(1784年)鋳造の「仙台通宝」は鉄銭で質が悪く、全国的に悪銭として有名になったということです。このあと寛永銭になり、幕末まで断続的に続けられ鋳銭場は周りに高い塀や竹矢来を組み、出入り口は東側の一か所で、中に溶鉱炉、銭製品の加工場が立ち並び、常時200人かに300人が働いていたと伝えられています。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2010年3月27日 20:37 | カテゴリ: みやぎの見所