仙台城址(青葉城址)?その2
伊達政宗が仙台城を築くにあたって、徳川家康に気を使ったといわれているが、この青葉山は南西北を山に囲まれ、南は竜の口の渓谷、東は広瀬川64mの断崖に守られた天然の要害になっています。仙台城の築城とともに城の東側に城下町を整備するために、当時は森林と湿地帯であった土地を切り開き、町割りを行ったのが現在の仙台市の始まりです。
当時の居城は岩出山だったので、家臣や町人、神社仏閣を町ぐるみ移住させるという、大移動が行われたというわけです。城の本丸は大広間を中心として櫓や門に取り囲まれ、大広間は別名千畳敷ともいわれ、豪華絢爛な障壁画が描かれた桃山式書院造りの豪華な御殿であったということですが、明治維新後の新政府によって全て取り壊されました。
政宗の死後、二の丸が現在の東北大学川内キャンパスの地に造られ、本丸は儀礼的な施設になりました。青葉城址にある青葉城資料展示館では、政宗の書状や伊達家具足、宇和島伊達家婚礼調度品など、伊達家と仙台藩の資料が展示されており、大画面シアターとCG映像による仙台城のリアルな再現映像は迫力満点です。