仙台城址(青葉城址)?その1
広瀬川に架かる大橋を渡り国際センターを過ぎると、白壁に瓦屋根の隅櫓(すみやぐら)が見えてきます。ここは、かつて仙台城の大手門があった場所です。大手門は伊達正宗が仙台城を築城するにあたって、秀吉の朝鮮出兵の際に肥前名護屋城におかれていた城門を移築したものと言われていますが、国宝として戦前までありました。
しかし、昭和20年の仙台空襲で隅櫓とともに焼失してしまいました。現在の隅櫓は、戦後に復元されたものです。隅櫓を左折すると左手に高く積み上げられた本丸の石垣が見えてきます。石垣の間にある階段を上り、正門である詰門跡から入ります。仙台城は1601年(慶長6年)伊達政宗が仙台60万石(後に62万石)の城として築城を始めおよそ10年の歳月を費やして完成させました。
それ以前は、国分氏の城であり千代と称していたものを政宗が仙台と改めました。青葉山の上にあるのは本丸で、その広さは近世の城郭では最大級だということです。天守閣が築かれなかったのは有名な話ですが、戦国の余韻を残している時代にあって、徳川家康に対し、あからさまな軍事施設を築くことを憚ったといわれています。