臥牛城跡の桜
角田市の市街地南西部にある角田城跡は、現在、角田高等学校と中学校の敷地になっています。阿武隈川の左岸に、天正年間(1573年から92年)、伊達成実によって築かれ、慶長3年(1598年)、伊達氏一門の石川昭光に与えられました。石川昭光は、21,380石を受けて居館の規模を拡充するとともに、城下町の体裁を整え、今日の発展の基礎を築きました。
明治維新によって取り壊されたため、城の遺構はとどめていませんが、かつて大手門のあった辺りに、吉野臥城の詩碑が立てられており、桜の季節には、ここを中心として花見客で賑わいます。なお、北方の森の中には、八幡神社が鎮座していますが、境内を包む杉の林は見事なもので、中には幹周りが9mもの古杉も生えています。
総面積は3万坪、高さ20m、東西300m、南北400mもあり、現在は角田高等学校、角田中学校があり、高校のある場所が本丸でした。城郭の周囲は巾の広い外壕で囲み、その内側には迷路状にはしる大小の小壕を配し、無類の要害を誇っていました。また、明治時代には角田県の役所が置かれていたという由緒ある場所です。