藤原実方朝臣(光源氏のモデル)が眠る地
藤原実方朝臣は百人首の「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思いを」の歌で知られる平安時代の貴族で、藤原一門でも由緒ある家柄で生まれ、美男の誉れが高く、和歌の才能にも優れ、源氏物語の光源氏のモデルだったとも言われている人物です。この実方が陸奥守として4年の間多賀城に赴任していました。
任期が間近になったある日のこと、出羽千歳山(山形市)の阿古耶(あこや)の松をたずねた帰り道に、名取郡の笠島道祖神の前を通ったとき、土地の人がこの神は霊験あらたかであり、失礼のないよう馬から下りるように進言しだが、実方はこれを無視して通り過ぎたところ、馬が突然暴れだして実方は落馬しなくなってしまった。
後に西行法師が歌枕を訪ねて東北を旅した際、この地を通ったところ道端の塚に気づいて地元の人に尋ねたところ、実方の墓であることがわかったという。松尾芭蕉もまたこの近くに訪れ句を読んでいます。実方はじめ多賀城に赴任した貴族たちは、みちのくをロマンあふれる地として多くの都人に紹介したのでしょう。