コンブのはなし?その4
コンブの保存技術や運搬手段がなかった時代、北の海で採れた海産物の中でも、最も貴重な食品として重宝されていたようです。しかし、コンブは乾燥されると長期保存ができるので、江戸時代になると近江商人が「北前船」と呼ばれる松前から大阪に至る航路を開発し、急速に江戸中でコンブが用いられるようになりました。
今でもこの航路のことを「コンブロード」という愛称で呼ばれており、北海道では最も重要な海産物となっております。日本では昔から、コンブを「広布(ヒロメ)」と呼び、長い姿が縁起の良さを想像させるとして、非情に縁起の良い食品として重宝され、武家社会では「勝って喜ぶ」に通じるものとして出陣式には必ずコンブが飾られたとか。
このように縁起のよいものとして扱われる習わしが民衆にも広がり、その名残が今でもお正月のお飾りや丈夫な子供が生まれるよう願って「子生婦」と呼ばれる結納の品にも用いられている。このようにして定着した「コンブロード」は、日本海側から太平洋側まで、ほぼ全域をカバーし、日本中に文明も一緒に運ぶという役割を果たしました。