松島パークホテルと広島原爆ドームの姉妹関係
日本三景・松島に、かつて和洋折衷のパークホテルという華麗なホテルがありました。入母屋造りの望楼を中心に、海に向かって両翼を90度に広げたものでした。このパークホテルが広島の原爆ドームと姉妹関係にあるというのです。そのわけはこうです。ホテル建設は当時宮城県知事だった寺田祐之が中心となって進めたものです。
チェコ出身のヤン・レツルが設計し、1913年に完成されました。戦前の県知事は官選でしたので、寺田はホテルオープンの半年前に広島県知事に転じてしまいました。そこで県物産陳列館計画に出会ったというわけです。場所は広島市の元安川のほとりでした。松島での経験がある、水面に映える設計に長けたレツルに白羽の矢を立てたのです。
物産館はホテルの2年後に完成しました。45年8月6日、上空で原爆が爆発し、付近一体は焼野原と化してしまいドームの鉄骨と残骸がのこった。「姉」に当たるホテルも69年に焼失してしまいましたが、もしホテルがなかったら、もし寺田が広島に転じなかったら、この数奇な建物の物語も世界遺産の原爆ドームもなかったでしょう(平成16年8月6日河北新報・河北春秋より)。