慶長遣欧使節団出帆の地「月浦」?その1
伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)10月28日、支倉常長率いる慶長遣欧使節団がスペインに向けて出帆したのが月浦(つきのうら:石巻市)です。目的は仙台藩領内でのキリスト布教の許可と引き換えにメキシコ(スペイン領)と直接貿易の許可を得ることであっといわれています。
この使節団の遣欧は徳川幕府から正式に承認を得たもので、伊達政宗37歳のときであったといいます。徳川幕府による幕藩体制が整ったことから、戦が治まったためか正宗も貿易によって活路を開こうとしたのかもしれません。月浦を出帆したサン・ファン・バウティスタ号は、洗礼者聖ヨハネの意味を持つ。
この船は、伊達藩の船大工、幕府船手奉行、スペイン人ビスカイノ等によって造り上げられたもので、当時としては大帆船であったといいます。ビスカイノと宣教師ソテロが案内人となり、常長一行180人を乗せて出帆したサン・ファン・バウティスタ号が向かったのが、メキシコのアカプルコであった。