護良親王埋葬伝説の地一皇子神社
一皇子神社は石巻市湊地区にある牧山山麓に抱かれた社です。後醍醐天皇の第三皇子である護良親王は、史実によれば、鎌倉で幽閉され足利直義に打たれことになっていますが、実は忠臣に手引きされ海路はるばる牡鹿湊(石巻市)に上陸し、南朝方の葛西氏に保護され再起を期したが、1346年この地でなくなったという伝説があります。
真実は今もって謎ではありますが、この一帯は昔から御所の入、御所の浦と呼ばれたことから、何らかの関連があったことは間違いなさそうです。境内には1275年から1492年までの220年にわたり建立された板脾が88基もあり、石巻市有形文化財第一号に指定されています。なかでも、後醍醐天皇の崩御を悼みその菩提を弔うために建立されたのが吉野先帝御菩提脾であるといいます。
大祭は毎年4月20日に行われ、かなりの荒れ神輿として知られていましたが、史実が確認された頃を堺に祭りへの参加者も次第に減少し始めたようです。しかし、地元の勇士は今も吉野朝時代の夢を旨に祭りを盛り上げています。地元の旧家には旗印も残っているとのことなので、由緒ある神社として長く語り継がれて行くことを願って止みません。