奥州の豪商金売橘冶(吉次)伝説
大河ドラマには、金売吉次という名前で度々登場するこの人物、実は宮城県の金成(現在の栗原市)の出身なのです。奥州藤原氏との関係も深く、若き日の源義経(牛若丸)を平泉の藤原秀衡に導いたのも橘冶といわれている。この人の親に当たる炭焼藤太なる人物の伝説がまた実に豪快である。伝説によるとこの人は、京都の右大臣の娘おこやが清水寺の観音様のお告げで藤太のもとに嫁いできた。
ある日おこやは藤太に砂金を渡し、姉歯の市で買い物をして来るよう頼んだが、藤太は途中で鶴を見つけ、砂金を投げつけ捕まえようとしたが失敗した。おこやが砂金の価値を知らない藤太にいって聞かせると、そんなものは幾らでもあるといって、炭焼窯の回りに積んだ砂金をおこやに見せる。その後、藤太は金売りになり財を成したという。
金売橘冶(吉次)はこの藤太の子とされている。金成には藤太夫婦の墓や橘冶(吉次)の居館の東館跡とされる金田八幡宮がある。砂金の価値を知らなかったというあたりがなんとも素朴で微笑ましいが、そんなものは幾らでもあるといったというのは、スケールが大きい話ですが、もしかすると、昔ここの辺には金の成る木があったのかもしれません。それで金成という地名になったのかも?