丸森町の蔵の郷土館「齋理屋敷」
宮城県の南端に当たる丸森町の中心部に重厚な建物が残されています。その名は「齋理屋敷」といい、1804年(文化元年)に創業したという齋藤家の屋号を冠した豪商の店蔵で、「蔵の郷土館」として親しまれています。代々の当主が齋藤理助と名乗ったことからその名がついたといわれていますが、何しろ豪商であったことが偲ばれます。
初めは呉服と太物を扱っていたが、この地方一帯で養蚕が盛んになったことから、生糸も扱うようになり、有数の豪商に発展したということです。幕末には手前金(手元金)が2万両という記録があるというから凄い。現代でいえば上場の大企業並みの規模を誇っていたことになりますが、これに飽き足らず、明治維新後は農地を買い集め小作米が2千俵、農地は100ヘクタールを越えたということです。
明治、大正時代には社会事業なども手がけたが、戦後の農地改革を期に店を閉めて仙台に移り住んだ。蔵や屋敷、それに収蔵品は当主から町に寄贈されたもので、敷地内には10の蔵と2つの邸が並び、蔵の中には代々の旦那が集めた数々の宝物があるほか、表通りには、160年前に建築されたという店蔵が、豪商の威厳ある面影を今に伝えています。