上盾城本丸跡?その3
上盾城跡のすぐそばには、平安時代後期の開基と伝えられる円福寺があります。帰国してわずか2年後(1年という説もある)に亡くなった常長のお墓が、田園地帯を見下ろすように建てられています。結局、当初の目的は果たし得ずに失意のうちに世を去ってしまった。弾圧という不幸に見舞われた常長は、さぞ無念だったことでしょう。
今でさえ難しい外交を400年も前に取り組んだ常長の行動は、その歴史的価値は高く評価されています。川崎町では常長の偉業を讃え、平成5年から毎年6月に「支倉常長夏祭り」を開催し、遣欧使節一行の再現パレードなどを行っています。なお、宮城県には常長のものといわれる墓所が仙台市北山と大郷町の2ヵ所あります。
見事な竹林に囲まれた上盾城跡の散策コースは、常長の墓のある場所から歩いて行ける距離にあります。支倉常長が埋葬されていると伝えられている円福寺にある墓はお寺の裏側にあり、脇仏に仏像に模したマリア観音が安置されています。3つのお墓のうちどれが本当かは、未だに謎に包まれたままですが、どちらもそれなりの雰囲気が感じられます。