上盾城本丸跡?その1
上盾城は巨大な土塁と空濠など、戦国時代の連郭式遺構を残す歴史的価値の高い山城です。ここは支倉常長の祖父、紀伊守常正(きいのかみつねまさ)が545年に築いた城で川崎町にあります。幕府を差し置いてヨーロッパと通商を行おうという、伊達正宗の大きな野望を託され、サン・ファン・バウティスタ号で支倉常長は月の浦を出帆しました。
一般的には、政宗に抜擢されたと考えていますが、真実はどうだったのでしょうか。常長は山口常成の子として1571年に生まれましたが、その後、伯父の支倉時正の養子となり、中堅武士である支倉家を継ぎました。常長が抜擢されたのは朝鮮渡航の経験があり、調査能力にたけていたからだと考えられていますが、もう一つ要因があったといれています。
それは、常長の実父が事件を起こし切腹になり、連座で常長も追放され、お家取潰しになりかかった。この罪を許す代わりに指名された可能性もあると指摘されています。そう話すのは仙台市博物館の山内淳一学芸室長。当時ヨーロッパまでいくということは一大事で、まして非常に難しい交渉を託されている。当然死を覚悟しての出帆だったと思います。