鳴子温泉卿の原点「滝の湯」?その2
この日は、氏子たちが神様の湯浴みの間、神社をお守りしました。それが現在でも精進講という名前で受け継がれています。そして9月の神社例祭では、各旅館やホテルがそれぞれの源泉を神社に奉納する献湯式が行われます。江戸時代には藩命により「遊佐屋」の遊佐氏、「源蔵湯」の大沼氏、「横屋」の大沼氏が湯守として、滝の湯の管理をしていました。
遊佐屋は現在の「遊佐屋旅館」、源蔵湯は「鳴子観光ホテル」、横屋は「吟の庄」へとそれぞれ変遷しています。そういえば、私も子供のころ母親に連れられて、よく「横屋」で湯治をしたものです。そのころ不思議だったのは、「横屋」に泊まると、滝の湯を始め他の2つの旅館もスリッパのままでフリーに行き来できることでした。
共同浴場は、本来地元の人々の風呂であることが多いようですが、滝の湯は現在、近隣住民による「滝の湯保存会」により管理されており、会員からの会費で運営されています。そのためか、観光客等一般の入浴料はわずか150円と格安です。滝の湯には電話がありません。強い硫黄でたちまちさびてしまうからだそうですが、そのため、連絡先は近くのそば店「小花」になっているということです。