明治は遠くなりにけり
宮城県の北部に位置する登米市には、明治21年に建造された洋風建築が今も教育資料館として活躍している。この建物は当時ウイーン万博に派遣されヨーロッパ建築を学んできた宮城県の技師山添喜三郎の設計によるもので、旧登米高等尋常小学校の校舎として建造されたものである。
中央の中庭を挟むようにコの字型に建物が配置され、両側先端には六方という生徒の入り口があり、中央には玄関と白いバルコニーが置かれた造りである。白いバルコニーの2階部分は、いかにもハイカラな欄干が施されているほか、柱はアイオニックオーダというギリシャ様式の柱頭で飾られているとい凝った造りである。
教室に繋がる吹き抜けの廊下は、現在の建物とは一味違う開放感があり、明治の人々の教育に対する取り組み姿勢が偲ばれます。アメリカのコロニアルスタイルを模したというX字型の欄干や2階廊下のミミズクのデザインは、生徒の勉強ぶりを見守るという意味があるというから、ゆったりとした中にも本質を忘れない力強さが伝わってくる気がします。
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