仙台藩の藩校有備館
仙台藩祖伊達政宗公が仙台の青葉城に移るまでの12年間、岩出山に居城していたのが岩出山城です。その城の二の丸が1663年(寛文3年)に焼失したため仮居所として立てられたのを移築したものがこの有備館です。始めは「春学館」と呼ばれていましたが、現在地に移された際に「有備館」と改められました。
岩出山伊達家3代敏親(としちか)が家臣の子弟を教育するために開いたもので、単層寄棟書院造り、藁葺き屋根が落ち着いた雰囲気をかもし出していますが、庭園は回遊式池泉庭園と呼ばれるもので、仙台藩の茶道頭石州流3代清水道竿によって1715年(正徳5年)につくられたものです。
池には島が浮かび、茶室も置かれており、ゴールデンウイークや紅葉の季節には茶会も催されるほどで、宮城の名園の一つに数えられています。かつて伊達家が治めていた岩出山は、京の冷泉家から輿入れがあったこともあり、「伊達の小京都」とも呼ばれた城下町で、この有備館の周辺には往時の面影が随所に残っています。
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