相変わらず逆風が吹き荒れている捕鯨
日本が現在行っている調査捕鯨は、調査ではなく殺戮であると断じ、即刻中止するように日本政府に要請するという。確かに反捕鯨国の論理からするとそうした理屈になることも理解できますが、これは正義の問題ではなく、文化の違いであるようにも思われます。牛や豚は良くて鯨だけが何故いけないのかという議論をよく耳にします。
また、漁業関係者の中には、鯨が増え過ぎるとマグロなどの他の魚が減少してしまうのではないかという見解もあります。民主主義の原則からすると数の論理にはかないませんが、もう一歩高い見地に立った議論がなければ、単に意見を集約したからといって国際的に採択されるというのでは、エゴのぶつかり合いに過ぎなのではないでしょうか。
宮城県の牡鹿町という町はかつて捕鯨の町として栄えました。しかし、住民の方々はこれを既得権として主張しているわけでもなければ、国際的なルールづくりに背を向けているわけでもありません。もちろん私たちには、捕鯨、反捕鯨に対して正当性を判断する材料が与えられておりませんが、それだけに、現在の対立関係はことさら心が痛みます。