全国の鉄道フアンに別れを告げた「くりでん」
大正10年12月に石越?沢辺間(8.85km)が部分開通したのが、くりでんこと栗原田園鉄道の前身です。昭和17年12月には細倉鉱山までの全線26.2kmが開通し、細倉鉱山で採取された鉱石や沿線で収穫された穀物などの輸送を担ってきました。最盛期には石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する列車も運行されたほどです。
その後は順調に輸送収益を伸ばしてきましたが、昭和51年をピークに減少し始め、昭和63年に細倉鉱山が閉山されると急激に経営状態が悪化したため、鉱山跡地を改装して細倉マインパークを開園し観光客の誘致を図りましたが、利用客数の減少傾向には歯止めをかけることができませんでした。こうした状況を重く受け止め、沿線自治体などが協議した結果、第三セクター方式で再起を期することになり、その名もくりはら田園鉄道と改められました。
これを機に、これまでの電化を廃止して運行経費の安い気道車に変更し、1両単行のワンマンカー運行とすることとしたほか、殆どの駅を無人駅にして運賃もJRの約2倍に設定しました。しかし、こうした努力も空しく赤字はどんどん累積されるばかりであったことから、ついに平成19年3月で廃止しバス輸送に切り替えることとなってしまいました。多くの鉄道フアンから愛されたあの勇姿はもう見ることはできません。
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