わらじ村長の偉業
わらじ村長の愛称で知られる鎌田三之助は、明治から昭和にかけて鹿島台(現在の宮城県大崎市鹿島台)の村長を務めた人物です。村長の滅私奉公ぶりは徹底したものであったといいます。何しろ38年間の村長在任中、一切給料をもらわずに過ごしたというからすごいですね。
全国で講演した際に受け取ったお金も、小学校の教材費に当てたという。裕福な農家に生まれたとはいえ、並の人には到底できることではありませんが、驚くのはこれだけではないのです。つぎはぎだらけのズボンに脚半(きゃはん)、破れた帽子、そしてトレードマークのわらじといったいでたちです。
村には品井沼という大きな沼があり、増水のたびに水害を起こすことに頭を痛めていた三之助村長は、住民を説得してこの沼の干拓事業に取り組みました。今は、県内有数の穀倉地として知られるこの地方も、村長の献身的な努力が無ければなし得なかったと言われています。