往時をしのぶ野蒜築港跡
明治新政府は、わが国初の国家プロジェクトとして、近代築港事業に着手したのがこの地野蒜(現在の東松島市)でした。東北の物流拠点として選んだのは、この野蒜港を拠点として北上川と松島湾、阿武隈川を運河で結ぶという遠大な構想であったという。
このとき既に存在した貞山堀が拡幅されたほか、北上運河や東名運河もこの時に築かれ、鳴瀬川河口左岸には市街地が造成され、明治15年には内港が開港し、蒸気船がにぎやかに運河を行き交った。しかし明治17年9月の台風で港は壊滅的な被害を受けてしまった。
この被害の大きさにショックを受けた新政府は、未着工であった外港の建設を中止することに決めたため、野蒜築港は幻に終わってしまった。当時使われた石のローラーや赤レンガの橋台、東北初の測候所の碑などが市街地跡に残されており、往時の面影を偲ぶことができます。
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