鯛と波頭 笹かまぼこ販売一筋五十年
株式会社 すゞき物産
トップページへ
商品案内
会社案内
リンク
 店長の blog
<   2008年11月   >
日 月 火 水 木 金 土
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

  • おかいもの
  • ちょっと一言
  • みやぎの見所
  • わが家のムサシ
  • イベント情報
  • オープンご挨拶
  • キャンペーンご案内
  • ホットな出会い
  • 一期一会
  • 大震災
  • 美味しいもの情報

招き猫
powered by Movable Type Movable Type 5.2.10

<<白石城と片倉小十郎景綱?その1 | ブログTOP | 野菜たっぷりのお好み焼き >>

白石城と片倉小十郎景綱?その2

初代白石城主となった片倉小十郎景綱は、米沢八幡の神職の子として生まれたが、伊達家の米沢時代に聡明さを買われ、そのころまだ幼かった梵天丸(政宗の幼名)の近侍となった。戦国時代の騒乱期にあって数々の武勲を挙げ、政宗随一の重臣として処遇されるまでに出世をした人物であり、豊臣秀吉からも誘いを受けたという。

秀吉が小田原の北条氏を攻めた時、伊達政宗は秀吉から援軍の要請を受けたが、あくまでも戦国の覇者への道を歩むべきと主張する主流派と、秀吉の援軍要請に従うべきとする参戦派とが対立し、政宗が決断できずにいたとき、小十郎の進言により秀吉の要請に応えることを決意したため、伊達家は事なきを得ることができたという。

こうして、伊達家の重鎮として天下に知られるようになった景綱は、秀吉ばかりか家康からも誘いを受けたが、あくまでも政宗の家臣であることを固辞したという。片倉家では、代々小十郎の名を継ぐが、二代目小十郎重長は大阪夏の陣で大阪方の名将真田幸村軍や後藤又兵衛と激闘を演じ、鬼の小十郎と呼ばれるほどの武者であったという。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2008年11月11日 06:46 | カテゴリ: みやぎの見所

■コメントを投稿

いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。



※スタイル用のHTMLタグが使えます