白石城と片倉小十郎景綱?その1
白石川から南蔵王を望む白石市の一角に白石城があります。この城は伊達家の重臣として知られる片倉小十郎景綱が関が原の戦い後、慶長7年(1602年)に入場して以来260年、十代にわたって片倉氏の居城として栄えてきました。しかし、その歴史は古く寛治2年(1088年)後三年の役で刈田左兵衛尉経元が戦功でこの地を賜ったことに始まる。
その後、一時白石氏などの支配を経て、伊達氏の支配下に入った蒲生氏の所領となり、城を大改築して本丸に天守閣の代わりに三層櫓や坤櫓・巽櫓を築き、輪郭を整えました。その後、会津藩主となった上杉景勝の家臣である甘粕備後清長が入場しました。慶長5年(1600年)徳川家康は会津上杉討伐を起こし、伊達政宗は徳川方の要請に呼応した。
こうして勝ち取った白石城であったが、関が原の戦いの後、刈田郡は伊達家が領有することになり、青葉城の守りとして伊達家の重臣片倉小十郎景綱を白石城に入らせた。この片倉小十郎景綱こそ、仙台藩主伊達政宗を支えた逸材でした。仙台藩内で青葉城以外の唯一の城であることからも政宗の信頼が厚かったことが察せられます。