時間の経過の重み
私たちの住んでいる塩釜市には、有名な塩竈神社があります。ムサシが若いころは、週に二度か三度は境内まで出かけたものです。以前にもお話ししましたように、10年前に私が富士登山に挑んだ時には、塩竈神社の表参道の階段でトレーニングをしましたが、その時には、二人で3往復もするくらいの元気がありました。
ところが、ここ1?2年、すっかり遠ざかってしまい、元日になると初詣をしようという話にはなりますが、実現されなくなりました。毎日の散歩の距離からすると、それほど遠いというわけでもないのですが、イメージとしてかなり遠くに出掛けるという意識が強く、つい足がすくんでしまい、今更のようにムサシの存在が思い起こされます。
昨年の春、桜の季節に歩いてみましたが結構遠くて、途中何回も休憩しながら登った思いも手伝って、一層おじけづいているのかもしれません。そういえば、ムサシと歩いていた時、知り合いの人に会うと、“こんなところまで歩いて来るんですか”と驚かれたことが懐かしく思い出されます。当時は余計なお世話だと思っていましたが、今ならその驚く気持がよくわかります。