修復成った瑞巌寺
「平成の大修理」を終えた瑞巌寺の落慶法要が、6月24日に開催された。22日の前夜祭は、伊達家18代当主泰宗氏が政宗公に、宮城県出身で松島に所縁のある俳優千葉雄大さんが2代藩主忠宗公に扮した武者行列や花火大会が行われ、盛り上がりを見せた。落慶法要には全国の僧侶や工事・行政の関係者ら約400人が列席。約230人の僧侶による読経が、本堂に厳かに響き渡った。修理が始まったのは平成21年(2009年)、明治33年(1900年)以来の大規模修理である。瓦や土壁、建具などを解体し、修復してから元通りに組み立てる大掛かりな工事で、畳を全て敷き直し、大屋根の5万枚以上ある瓦のうち、約3万枚を葺き替えた。
本堂全体を持ち上げ地盤の歪みを直した上で改めて基礎工事を行い、漆喰の白壁は耐震のためポリカーボネート板で補強。途中で起きた東日本大震災を乗り越え、無事完了を迎えた。400余年の歴史を持つ建物が、職人によって受け継がれてきた伝統の技と現代の先進技術との融合によって、いっそうの強靭さを纏って甦ったのである。瑞巌寺の開創は平安時代初期に、遡ると伝えられる。途中廃絶や荒廃の憂き目に遭うもそのたびに再建、復興され、現在の建物が造営されたのは慶長9年(1604年)。伊達政宗公が自ら縄張りを行い、造営に着手した。
完成の2年後(1611年)、スペイン大使ビスカイノと宣教師ソテロの一行が同寺を訪問し、その荘厳な姿を「世界に並ぶものがない木像建築」と評したという。桃山様式の本堂、御成玄関、庫裡、廊下は国宝に、御成門、中門、太鼓塀が国の重要文化財にしてされている。今回の解体に伴って本堂下の遺構調査も行われた。瑞巌寺の全身である円福寺の遺構が発見され、規模も格式も東北随一、鎌倉・京都の五山に匹敵する屈指の大寺院であったことが判明したことも、大きな収穫といえよう。戦争や多数の自然災害を乗り越え、この松島の地で人々の拠り所となってきた瑞巌寺。技術の粋を尽くした大修理によって、新たな歴史を紡ぎ始めたのである。