阿部勘酒造(その1)
塩竈に、3世紀にわたる伝統を継承する造り酒屋がある。生産量は決して多くはないものの、塩竈近在の人にとって、また全国の酒好きにとっては知る人ぞ知る酒蔵だ。「塩竈の地酒」であることを誇りに、実直な酒造りを続ける阿部勘酒造とは、どんな会社なのだろう。塩竈は、奥州一の宮・鹽竈神社の門前町として、また港町として栄えてきた。鹽竈神社のある一森山のふもとに、趣のある佇まいを見せているのが阿部勘酒造株式会社だ。格子戸にかかる暖簾には、「創業享保元年」の文字。「享保元年(1716年)に仙台藩主より鹽竈神社のお神酒を造るようにとの命を受けて、酒造りをはじめました。今年で創業302年、社長である父は14代目になります」と話すのは、専務の阿部昌弘さんだ。
阿部勘酒造は、鹽竈神社の御神酒御用酒屋として始まる。1716年といえば、鹽竈神社の現在の社殿が竣工(1704年)して間もない時期であり、仙台藩5代藩主・吉村の治世下での命ということになる。残念ながら蔵の歴史に関する資料は、二度の火災でほとんど焼失してしまったため、詳細を知ることは叶わない。江戸時代の塩竃は、阿部勘の建物がある場所の少し手前まで入り江がせまっており、近隣には回船問屋などが軒を並べ、遊興施設などもあり、港町らしい賑わいを見せていたという。だが、いつの時代でもあるように、塩釜の町も活況と不況を繰り返していた。御用酒屋とはいえ、飢饉、米不足の折には食べる米を優先しなければならず、酒造高が制限される中、耐え忍ぶことも少なくなかったろう。
阿部専務曰く「その時々の流れに沿いながら」、阿部勘は江戸、明治、大正、昭和、平成と5つの時代を超えてきたのだ。伝わる知恵もさまざまあり、東日本大震災の時に、その一つが活かされた。「その数年前から、祖父(13代目)が、"30年から40年周期で大きな地震があるんだから、そろそろ備えをしておけ"といっていました。元々、蔵は(建物を)詰め過ぎない、(高く)積まないように教えられており、また、酒瓶の入ったケースもフィルムに包むなど備えていました。おかげで、被害はほとんど無し。私なんかはそこまでしなくてもと思っていたのですが、先人の知恵はすごいと改めて思わされましたね」。震災後も「踏ん張ればいいんだ、絶対に(厳しい時は)終わるから」という先人の言葉に力づけられたと話す。