阿部勘酒造(その2)
300年という長い間、阿部勘が伝え守ってきた酒造りへの思いとは何だろう。阿部専務はこう話す。「塩竈は寿司店数が日本一、生マグロの水揚げ量が日本一。そして世界三大漁場の金華山沖を控えた、海の幸の宝庫。その食べ方も、新鮮なものをそのまま食べるという風土です。そうした地元の幸・食文化に合わせて、主張するのではなく主役の魚料理を引き立てる脇役としての酒を造ってきています。販路は、20年前までは8ないし9割が近隣の2市3町(塩竃市、多賀城市、松島町、七ヶ浜町、利府町)だけだった。300年のうち280年はほぼ地元だけで飲まれてきた酒。こんな話が今伝わる。阿部家当主は代々阿部勘九郎の名を継いでいるが、かつては、当主自ら荷車を引いて塩竈の町を7回廻って量り売りをしていたため、"七廻り勘九郎"と呼ばれていたという。
現在の販路は県内6割・県外4割。「蔵の規模が規模なので、大して拡大はできません」といいながら、地域に根差した酒造りの良さについて「飲んでいる方の姿が見え、どう言われているのかがダイレクトに伝わるのがいいんです。"今年の酒はいいよね"なんて声が聞こえたら、また頑張ります」と、顔を輝かせる。酒造りは前年の反省をし、それを生かすことの繰り返しだ。ここはよくなったが他をもっとこうしたいと、今年の酒の構想が描かれる。社長である14代阿部勘九郎、そして専務がその思いを伝え、実際の酒造りは杜氏が引っ張る。「3人の嗜好が同じ方向を向いており、その上で社長がさっぱり目、私が濃いめ、杜氏が中間なので、スムーズにいきますね」。
昨今、世界的な日本酒ブームといわれる中で、酒造りを担う杜氏の減少が懸念されているが、阿部勘の備えは早かった。杜氏は先代まで遠野から出稼ぎで来ていた生粋の南部杜氏だったが、15年かけて現在塩竈在住の杜氏を育てあげた。今の蔵人には若い世代が多く、女性職人もいるという。酒造りの期間ではない夏場にも、蔵には活気が満ちている。酒造りの開始は10月。その8ないし9割が県内産というひとめぼれ、ササニシキ、蔵の華の新米が入荷してから。鹽竈神社の神主さんにお祓いをしてもらうことで始まり、冬の寒さを利用した伝統の酒造りは4月に終わる。出来上がった神酒は、今も変わらず、一番に鹽竈神社に奉納される。
造り酒屋の多くが海外への輸出を推し進める中、「うちでは輸出はしておりません。この地に来てもらって、ここで新鮮な魚と共に酒を楽しんでもらいたいと思います」と伝統の酒蔵の自負に、ぶれはない。こうした姿勢は、国や地方公共団体が掲げるインバウンド戦略にも合致している。塩竃は歴史ある門前町、海の幸の宝庫であるとともに、日本三景の一つ松島観光の表玄関であり、海外からの旅行客を迎える機会も多い。全国の新酒鑑評会で毎年高い評価を得ている阿部勘の酒は、おもてなしの酒としての資質は十分だ。日本の絶景を愛で、旨い魚を愛で、そのひと時をよりいっそう味わい深いものにしてくれる阿部勘の酒。300年の酒造りへの思いは、さらにその先へと永劫に継がれていくことでしょう。