暑苦しい昼下がりの夢(その2)
寝ているときに見る「夢」とは、長くても数秒間であり、ストーリーがなく断片的で、自分が今か抱えている心配事と何らかの関係がある。これが一般的に言われている夢に関する定説のようです。ですから、オヤジが先日みた夢も、たぶん、強烈だった断片的な一場面を、後でその残像をつなぎ合わせて一つのストーリーを組み立てたものだったと思うのです。もっとも、この考え方は、ほかならぬオヤジからの受け売りですが。面白いのはそのオヤジがもっともらしく夢の筋書きを語っているところです。しかし、オヤジ自身の見解はこれと少し異なり、夢の中身と心配事とは直接関係ないと思っているようです。ただ、心配事を抱えていると、それがストレスになり、これが夢をみることと関連がありそうだというのです。そういわれてみれば、ボクも怖い夢をみることはありましたが、現実の出来事とはどう考えても結びつかなかったような気がします。
それから、言い忘れましたが、疲れているとき、なかなか寝付けないとき、寝苦しいときなどに夢をみる傾向があるように思います。今日もこれらの条件がすべてそろったような日なので、オヤジも嫌な予感がしていたようです。すると、案の定、現実の問題とは全くかけ離れた内容の夢をみたというのです。その内容というのは、「庭の一角に大きなケヤキの木があり、それがどういうわけか、中が虫に食われて中がふかふかになっているのを見て、残念そうにしている。その一方で、そのケヤキの木は、土地を整地して売却するため近々伐採されることになっている。オヤジは、当然そのことを百も承知しているはずなのに、何故か虫に食われたことを異常に悲しんでいる。そして、突然土地売買を巡る詐欺師をボートで追いかけているシーンに変わる。さすがに、これらの衝撃的残像からは、一つの筋書きを紡ぎ出すのはむずかしかったのか、夢とは本来こうしたものだという持論に戻ることができてほっとしたのか、ショックが大きかった割には、「なあんだ夢か!」と笑って受け止めていました。
夢って本当に不思議ですね。どんなに願ってもみたい夢をみることはできないのに、自分の身の回りにはほとんど起こるはずのないシーンをかなりリアルに描き出す。そして、時にはあり得ない筋書きに育て上げてしまう。そして、嘘をつくつもりなどさらさらないのに、物語となって、次々に口から飛び出す。すると周りの人も、それは嘘でしょう?」などと茶化すことなく素直に聞いてくれる。やがて本人は、自分が話した筋書きを本当に夢で見たものだと確信する。他人はこれを否定する根拠を示すことはできない以上、そういう夢の形もあるのかもしれないと思う人もいるに違いない。すると、これがあるタイミングでメジャーになる。なんとも不可解きわまる「夢」ですが、これは脳のいたずらか、それとも、何らかの外的刺激によって、脳が誤作動してしまうのか、それとも、ある種の安全装置(例えばストレスのキャパシティが一定の水準を超えた)が作動して、災害時の避難勧告のような注意を喚起しているのかもしれませんね。