他人を羨むのは程々に
新聞などで、よく報道される「一番住みやすい国や住みたい都市といったランキング」に、つい目を奪われてしまうことがあります。そのとき、自分の国や町が上位にランクされていたりすると、何だか誇らしい気持ちにさせられます。そしてやっぱりそうか。この国あるいはこの町は、決して住みにくい町ではなく、むしろ、他の人からは羨ましいとさえ思われていることに気づき、今まで抱えていた不満や不安が軽減されたかのような錯覚に陥ってしまう。こうしたことは、国や都市のだけの問題ではなく、住んでいる家や家族についても同じことが言えます。つまり、普段は、もっと大きな家が欲しい、あんな車が欲しい、笑いの絶えない家庭にしたい、といった願望が満たされないとき、その不満が一向に解消されないと感じていても、他人の不幸を目の当たりにすると、今の暮らしはまあまあの方だ。車だってちゃんと走るし、まだまだ乗れる。やたらと不満を漏らし、自暴自棄になるのはやめようと、自分の置かれている状況に対して急にポジティブになったりする。
テレビの解説などでは、GDP、生産性、所得、労働時間その他の国際指標比較を示し、日本が諸外国に対して後れを取っていることを嘆く。しかし、ある調査によると、アメリカは世界で最も不安を抱えている国で、コロンビアやバングラデュよりも不安が大きい。そして、その度合いは文明社会初期の時代よりも、はるかに大きいように見えるという。もちろん、物理的な安全についていえば、現代社会は飛躍的に進歩していることは言うまでもない。例えば、車の耐久性は増し、食料供給は安定し、医療の発達も然りである。だが、寿命が延びて、以前より健康で快適な生活を送れるようになったものの、その一方でこれまでにない不安と恐怖に晒されている。2002年の世界精神保健調査によれば、発展途上国で臨床的に重度と判断された不安症になる人たちの割合は、アメリカ人の5分の1程度でしかなかったというから、驚きである。しかも、さらに驚くべきことは、そうした食料や住居という基本的な安全欲求さえ満たされていない発展途上国の人々が、アメリカに移民としてやってくることです。
こうした現象を一言で表現するとすれば、「アメリカンドリームは、命を懸けても手に入れる価値がある」といえそうである。元々人は必ずしも、論理的あるいは合理的な根拠で自分の行動を選択するわけではない。孔子の言葉に、「苛政は虎よりも猛し(悪い政治は虎よりも怖い)」というのがある。つまり、人間は命より大事な物はないと、頭ではわかっていても、実際の行動を見ると「命」より大事なものがあるかのような行動をとってしまう。それが人間というものだといわれれば、そのとおりなのですが、それにしても、隣の芝生を過剰に意識し、せっかく手に入れた安寧な日々に感謝することを忘れてしまうようでは、豊かな人生は永久に手に入らないような気がします。不満を解消することが、動機づけの大きな原動力になっていることは事実ですが、経済的な豊かさイコール人生の豊かさではないことを意識する必要もあるのではないでしょうか。そうしなければ、せっかく努力して手に入れた幸せも、それを掴むために費やしたコストが、何倍もの不安となってのしかかってくる。そんなことを思い起こさせる今夏の猛暑でした。