人を動機づける説得力
このところ毎日、コロナウイルスの感染者が増え続けている、最高を更新するのが珍しくない状況になっています。つい数日前までは、東京オリンピック・パラリンピックが延期か、中止かが話題になっていましたが、どうやら日本も世界の渦に巻き込まれそうな勢いです。国や行政庁はこれ以上の拡大を防ぐため、やっきになっているようですが、今のところ、緊急事態宣言ではなく、自粛規制に留まっているようです。そのためか、花見をする口実に「反省会」などという大義名分を掲げ、警備員の警告に従わない強者も現れています。また、不要不急の外出は控えるようにという要請はもちろん、もしも緊急事態宣言が出されたとしても、飲食店などに対して、強制的に営業中止に命ずることはできないという。その理由は、命令によりやむなく店の営業を休ませるのであれば、それにより生じた損害を補償しなければならない。そのため、緊急事態宣言など出せないという解説者もいるようです。しかし、こんなへっぴり腰では、国民の生命財産は守ることはできない。緊急事態とは、何よりも優先してその宣言を重視なければならないということです。
国のトップが国民のために今なすべきことを躊躇するようでは、あまりにも無責任である。東日本大震災のとき、他の店が崩壊して、当店だけが残れば大儲けできると、嘯いていた経営者がいた。もちろんそれは本心ではないだろうが、冗談では済まされない。街が崩壊してしまえば、そこはまさにゴーストタウンになってしまうわけで、消費者もだれ一人いなくなってしまうわけですから、店の経営など成り立つはずがないからです。このたびのコロナウイルス感染は、世界規模で流行していることなので、国際社会のシステムが崩壊してしまえば、店の経営どころではないことを知らしめる説得力を持つべきでしょう。例えば、「店を休業するのはいいが、その補償はしてくれるのか?」と問われたら、補償がないからといって、緊急事態宣言を受け入れず、店の営業を続行し、感染を拡大したとしたら、その責任に対する賠償責任を問われる虞があり、その場合の補償金額はいかばかりか! と切り返すぐらいの説得力をもっていてほしいものです。店の経営者である店主は当然どちらのリスクが高いか判断する能力があるはずです。
ですから、もし緊急事態宣言を発動するべき時が来たら、国は迷わず敢行すべきです。とかく日本人は、平和に慣れ過ぎて、自分の意にそぐわないことを他人から強要されると、目先の損害だけを誇張し、常に補償を求める。他人の行動により損害が生じたり、誰かの利益のために自分が犠牲になるといった場合には、賠償責任を負う人が明確に存在する限り、その相手に損害賠償を求めるのは当然ですが、この回のコロナウイルス感染予防は、店を休む経営者も含めた国民全員のためであり、国がウイルスをまき散らしているわけではない。したがって、緊急事態宣言ないし自粛要請は、どちらの逸失利益が大きいかという判断にかかっているもので、ダダをこねて、補償を勝ち取るというような次元の問題ではないでしょう。幸いにして現在の状況は、等差級数的に上昇しているようですが、このまま放置すれば、等比級数的ないし、指数関数的に増加するおそれもあります。見えない敵と戦うには、情報収集が何より大事です。クラスターが形成されていることが確実である以上、これらの人々が行動することで、ウイルスをばらまくことになるはずです。