栗原市栗駒岩ケ崎 六日町通り商店街界隈
栗原市の栗駒岩ケ崎は、かつての細倉鉱山で栄えた町だ。中心を東西に走る2本の通りは片や商店街、片や歓楽街として大変な賑わいだった。24時間の交代勤務だった鉱山のおかげで、町は昼夜を問わず絶えることがなく、往時を知る人が「(仙台の)一番町と国分町のような通り」と語るほどだったそうだ。しかし日本有数の鉛・亜鉛の産出地として知られた鉱山が1987年に閉山、町は一気に淋しくなった。古くから続く商人の町・六日町通りを歩いていると、そこかしこに昭和レトロの店構えや雰囲気を感じることができるが、近年この商店街に新しい動きが起こっている。2015年にカフェ「かいめんこや」を店主の杉浦さんが開業したり、ライブイベントを行ったりと、元々の住民も巻き込んで杉浦さんたちが新風となっている。
「去年の夏の夜市では、県内外から50人以上の屋台が出店して4500人の人出があったという杉浦さんの話を聞いて驚いた。もともと同商店街では「くりこま商家のひな祭り」「みんなでしあわせになるまつり」等々いくつものイベントを行っていたが、若手が増えてさらに活気が増している印象だ。商店街の中の建物が消えると景色が変わってしまうので、それを食い止めたいと思っている、とも。栗原市地域おこし協力隊の活動「六日町通り商店街 シャッター開ける人!」に関わる、千田さんにも話を伺った。「昔映画館だった隣の建物で、地元の人に学ぶ六日町大学を開いていますが、若い人たちがそこで無料映画上映会を定期的に開催しています」。
100ほどある店舗のうち現在は約40の店が開いている。新規参入者は費用をかけないよう古い店舗を自分で改装しているケースが多いそうだ。地方商店街がシャッター通りと呼ばれて久しいが、ここではまだ商店街が生きている。岩ケ崎は時代をさらにさかのぼれば、江戸時代、一関から岩出山に続く奥州上街道沿いに位置し、鶴丸城と呼ばれる山城があった。伊達政宗の五男・宗綱、六男・宗信をその城主に配した事実を見れば、いかに重要な場所と考えていたかがわかると杉浦さんは語る。歴史あるこの地で、若い人たちの試みが昭和レトロな商店街に新たな息吹となっている。