加美郡香美町 花楽(からく)小路界隈
加美町(旧・中新田町)の中心部を走る石畳の通りは、花楽小路と呼ばれている。車道と歩道を分ける縁石がないため、通りはとてもすっきりした印象だ。酒蔵の軒先には杉玉が吊るされ、きれいな漆喰壁が陽の光を照り返し、独特の風情を漂わせている。加美町といえば「火伏の虎舞」が有名だ。虎舞はもともとは稲荷神社の初午の祭礼行事で約600年の歴史がある。春になるといつも強風が吹き荒れて火災も多かったことから、この地を治めていた大崎氏が「雲は竜に従い風は虎に従う」との故事にちなみ、「虎の威をかりて風を鎮め、火伏を祈願する」との思いから「火伏まつり」として行われるようになった。
藩政時代には各町の火消し組が祭りを取り仕切り、山車とともに舞いながら城下町を練り歩いた。虎舞の彪は約2.4mの木綿布に描かれた胴体を、2人1組で操る。元来は家の庭先で舞われるものだった。特に屋根に上って舞うと火伏の呪いになるとのことから、屋根で舞われることが多く、各家々はご祝儀として米や酒を出すのが通例だったという。現在は毎年4月29日に、町の消防団に手ほどきを受けた小中学生が舞い手となって街中を練り歩く。祭典本部前で、高屋根に上った数匹の虎が勇壮な舞を披露する様子は圧巻。中勇酒造店の分家で、地酒を扱っている中勇分店の中島さんは「奥羽山脈はこの加美町の辺りだけが低くなっていて、そのせいもあって昔からこの時期は風が強く大火も多かったといいます。
ただ、低かったことで山形との往来がしやすく、古くから交通の要衝として酒田港との交易の拠点で、商人の町だったんです」と教えてくれた。当時、武家以外では新しい衣服を作ることはなかったため、庶民の殆どは古着を着ていた。その古着などの様々な物資が、軽井沢という場所を通ってこの町に一旦集まってきて、それから仙台まで届けられたのだという。また同地では、変わったお盆の習慣として8月13日朝ではなく、12日の夜に墓参りをするそうである。商人の町のため忙しいお盆の墓参りを避ける意味合いが強かったようで、商人以外にも広がったものだとのこと。