アスリートファストとは?
拡大のペースが衰えないコロナウィルスのせいで、世界中に混乱が続いているようです。特に今年の7末から開催されるオリンピック東京大会が予定通り開催されるかどうかは、日本のみならず世界中の人が心配しています。昨年秋には、マラソン競技を当初の予定通り東京で開催すべきか、それとも、東京より気温の低い札幌にすべきかといった問題が持ち上がり、結局、札幌で開催することに落ち着き、やれやれと思った矢先、今度はコロナウィルスの発生で、オリンピック自体を延長すべきか、中止すべきか、それとも予定通り実施すべきか、という難題を突き付けられることとなりました。オリンピックは4年に一度開催される世界最大のスポーツ・イベントであるため、開催の準備も国を挙げて行われます。それが、中止や延期になることにより被る経済的ダメージは計り知れません。おまけに、その原因がロナウィルスのせいということになれば、ダブルパンチどころかトリプルパンチ以上でしょう。得体のしれないウイルスと戦いながら、楽しみにしていたオリンピックまで手放してしまうのでは、がんばろうという気持ちが萎えてしまいます。
おかげで、パンデミック、ロックダウン、オーバーシュートなどといった日頃聞きなれない言葉を覚えた人も多かったことでしょう。ところで、このところ急激に、オリンピック東京大会が延期されるという機運が高まっているようです。しかし、すでに始まっている聖火リレーなどはどうなるのでしょう。それに、延期、中止が議論される中で、専門家と称する人たちの言葉の中に出てくる、「アスリートファスト」という言葉が気になります。これは「選手あってのオリンピック」という意味でもあるのでしょうが、別の見方をすれば、「観客あってのオリンピック」という見方も間違いではないような気がします。アスリートの皆さんがオリンピックの開催日に焦点を合わせて、日頃の鍛錬を積み重ねてこられておられることは理解できます。そうした意味では、アスリートのコンディションを第一に考えるのは当然のことでしょう。アスリートの皆さんが鍛錬に励み、その成果を如何なく発揮し、世界中の人々に感動を与えるということの意義は計り知れないものがあります。でも、そのアスリートの皆さんも、健康、平和、経済と無関係ではありません。
そうした基盤を安定させるための起爆剤となることの象徴としてオリンピックがあるのだということを忘れてはなりません。急に次元の低い話になりますが、アスリートの皆さんが心置きなく競技に専念できる環境を整えるためには、経済的裏付けが必要です。その大きな財源の一つが、テレビなどの放映権です。世界平和を実現し、その思いを一層高める原動力として期待されているのがオリンピックだとすれば、その開催を支えているのが経済ということになれば、一見本末転倒のようにも見えますが、これがやむを得ない現実でもあります。つまり、この世の中には、絶対的な一番などということはないのです。ここはひとつ、あまり感情的なならずに、現実を受け止め、アスリートの皆さんの多く口にしている、今できることを淡々とこなすしか道はない、と割り切り1年後に焦点を合わせるしかないように思います。〇〇ファストとは、絶対的なものではなく、何を基準にファーストを決めるべきものですから、今回のように、健康や経済の基礎が崩れた以上、個々に被る被害は自分の裁量で取り戻すという気概を持って立ち向かうしかないでしょう。