来年も宜しく願いします
みなさまにとって、今年はどんな年でしたか。わが家では相も変わらず例年並みの6勝4敗、あるいは相撲の星取でいうと8勝7敗というところでしょうか。それでも、台風19号で被災された皆様の思いに比べれば上出来というべきでしょう。被災者の皆様には改めてお見舞い申し上げます。自然災害とはいえ、ブルーシートで屋根を覆ったまま年を越さなければならないのは、さぞ無念なことでしょう。もちろん、治自体が台風を起こしたわけではないので、すべての責任を治自体の首長に迫ることはできないにしても、それなりのリーダーシップを発揮していただければ、もう少し迅速に復旧が進んだように思います。例えば、住宅業者や修復に必要な資材の調達を、他の都道府県に呼びかけ、ある一定のルールの元、ボランティアも含めて募集すれば、応急措置ぐらいはできたのではないかと思えてなりません。わが家のオヤジだって、こうした緊急時にはいち早く駆けつけるという行動をとったものだと話しています。今でも、気持ちはあるのですが、足腰が弱り足手まといになるので悔しがっているくらいです。
そのお陰というわけでもないでしょうが、自分も災害に見舞われたときには、みんなが駆けつけてくれて助けられた、と話しています。若いころの話は余り話さないオヤジですが、確かにそうした経験があったことは間違いないようです。そして、そうした助け合いの精神は、オヤジに限ったことではなく、ごく当たり前のことだったとも言っています。母親からは、「若い時の苦労は買ってでもやれ!」と常に言われていたので、何の抵抗もなく、体が反応したのでしょう。時代は変わったとはいえ、今の若い人でも、そうした思いを受け継いでいる人は多く見受けられ、心強い限りです。それなのに、その志を受け入れ、システマテックに活用できないのは行政の怠慢と言わざるを得ません。どんな作業、どんな技術が、いつ、どれくらい必要かをしっかりと把握し、タイムリーに情報発信すれば、それぞれの自己管理のもと、空き時間を見つけてボランティアに応募する人も大勢いるはずではないでしょうか。行政の仕事は、自らの手で何でもやらねばならないというのではなく、権威と見識によって、有事の時にいち早く平準化を図ることです。
日本に生まれてよかった、と子供たちが思い続けられるよう、政治や行政が見本を示すことが本来の使命であり、すべての不平不満に応えることなど私たちは望んでいません。民主主義とは不便なもので、これを悪用しようと思えば数の論理で押し切られてしまいます。でも、今のところ、これより優れた制度が見つからないのも事実なわけですから、辛抱強く議論を続けるしかありません。お金がものをいうなどというのは全くのいいわけです。お金には口などついていません。お金にものを言わせるのは悪知恵の働く人間です。善良な市民が寒空の下で泣いているというのに、一方では、現代版"越後屋"がどこかで暗躍しているような社会を放置しておくわけにはいきません。台風19号で被災された皆さまがこれ以上絶望感を抱かないよう、打つべき手を適切に打ち、ささやかでも希望が持てる新年を迎えられるよう尽力するよう期待します。東日本大震災で被災し、まだ、身も心も癒えない方々が、恩返しにとボランティアにおとずれているのですから、政治や行政に携わる人が、手をこまねいている時ではないでしょう。