お母ちゃんの癖
昔から「なくて七癖」という言葉があり、どんな人にも何らかの癖があるものです。ボクのお母ちゃんにも癖のようなものはありますが、あまり気になるようなものではないので、これまで話題になったことは殆んどありませんでした。しかし、最近、オヤジが新しい発見をしました。それは、お母ちゃんが「明日の朝、〇〇時に起こしてね!」とオヤジに頼むことが良くあります。早起きのオヤジは、頼まれた時間になるとお母ちゃんに声をかけるのですが、ときには2回から3回ぐらい叫び続けることもあります。そんなとき、お母ちゃんは必ず"起きてます"と答えるのです。オヤジに言わせると、そういうときは、「起きてます」ではなく、単に「はい」というか、あるいは「今起きます」というのが普通のやり取りではないか、という。「目が覚める」と「起きた」と言い方には定義みたいなものはありませんが、オヤジの常識では、「起きた」というのは、少なくとも寝床から起き上がり、明らかに寝ている状態ではない姿勢をとったときに言う言葉で、お母ちゃんのように布団の中にうずもれていながら、そば屋のデマイモチが、苦し紛れに「今店を出たので、もう少しお待ちください」というのと同じで、実は「これから起きます」という状態ではないかというのです。
そば屋さんの場合は「今作っている最中です」というより、「出ました」といった方が、お客さんの苛立ちを抑える効果もあるので、「嘘も方便」の部類に入るのかもしれませんが、お母ちゃんの返事は、明らかにオヤジの叫び声がうるさいので、「もうとっくに起きているので、うるさくしないで欲しい」というメッセージであることが明白なのです。頼まれた方としては心外だということのようです。オヤジにしてみれば、他の理由もあったらしく、珍しく怒りをぶっつけていました。その理由というのは、オヤジが目覚し時計をセットするのを見ていたお母ちゃんが、「そんなのシリちゃん(アイフォーンの話し相手)に頼めば一発よ!」 と得意げにいっていました。その論理でいうと、自分の目覚しをシリちゃんに頼んだら良さそうなものなのに、どうしてそうしないのか? それはやはりうるさいからです。シリちゃんの声は優しいかもしれないが「情」がない。「起きてます」と言っただけでは、機械音はやまないので煩わしい。その点、オヤジに頼めば、自分の意思が伝わるので、一時はうるさくても「起きてます」と言えば、それ以後はしっこく連呼される心配はなくなる。
つまり、機械はどんなに優秀でも、依頼人の現在の気分まで察することができないので不便ですが、その点オヤジは、「起きてます」と言っただけで、「ありがとう」とも「うるさいのでもうやめて!」という意思表示にも聞こえるので、文明の利器であるIT機器をつかわず、敢えてアナログなオヤジの声を活用しているというわけです。それを承知の上で、お母ちゃんの"目覚し時計役"を引き受けるオヤジの心境もまた興味深い。この説明をオヤジに求めると、たぶん長くなると思うので今日はこれ以上触れませんが、きっと複雑な思いがあってのことなのでしょう。元々人の行動というものは、不可解なことの連続で、必ずしも合理的でないことも多いようです。その最たるものが、食べ過ぎたり、不摂生をしたりして、病院にかかることです。でも、それをコントロールできる心の強い人が、長生きするとも限りません。感情と理性の葛藤の中で生きているのが人間です。だとすれば、お母ちゃんの「癖」などは取るに足りないものなのかもしれませんね。何しろ、この癖によってもたらされた損害は、自分が負担するしかないと自覚しているわけですから、頼りないオヤジのルーティーンに組みこめば、お母ちゃんの質のいい眠りに貢献するし、二人の脳トレにもなるので、今回のオヤジの訴えは却下します。