オヤジ流解決策
オヤジはもめ事の相談を受けると、まず、もめ事の原因となっているそもそもの問題を整理してみる。つまり、相手に対して許せないと思っていることを、ありったけ並べてもらう。このようにして一度具体的な個別の問題点を洗い出し、その後それを踏まえて、そうした個別の対立が生じている最大の問題点を総まとめにして抽象化し、二つの対立軸を見つけ出す。ここを出発点として、この対立軸に挟まれた象限に個別の問題をプットしてみる。問題の要素を変数に見立て数値化できる場合は、この真逆からアプローチするのが、双方にとって納得のいく解が得られやすいのだが、正確に数値化できない場合でも、それぞれ重みづけができれば、その方がいい。しかし、実際のもめ事というものは、「坊主憎くけれゃ袈裟まで憎い」というヒートアップした状態で持ち込まれるので、これを冷静な状態に冷ますまでにかなりの時間がかかる。そこで、かなり乱暴な前者の方法で解決策を模索することになるわけだが、それでも結構落ち着くところに落ちきます。傍で見ているボクにとっては、オヤジは特に難しいことをしているようには見えないのですが、それならばなぜ赤の他人にわざわざ持ち込むのかが解りません。
それがようやく少しだけわかってきたような気がします。それは、「先読み」をするという戦略が功を奏しているのだということです。もちろん、オヤジに持ち込まれるもめ事とは、取引先や従業員の雇用に関す問題や、金融機関との取引を巡る交渉などが多いわけですから、法律により裁定できるようモノではなく、双方の損得に関するだけに、相手を一方的に攻撃して妥協を引き出すという方法は通用しないのが通例です。もちろん、裁判で争われる場合だって同じことですが、時には正義よりも経済的利得の方を優先する解決を望むことも多いようです。オヤジのやり方は、こちらの強みや弱みだけではなく、相手方が受けるダメージを徹底して分析し、お互いにこれより良い解決策はないというところまで掘り下げて、解決策を探ります。そのため、「依頼者からそれほど相手方に配慮する必要はないのでは?」と指摘されることも結構あるようです。しかし、権力や高圧的な地位を乱用して和解に導くと、必ず遺恨が消えず今後の展開に悪影響があると言います。現に今持ち込まれているもめ事も、もとはといえば何十年も前の理不尽な対応が原因になっていることもたくさんあるという。
裁判だって、双方にとって決して満足のいく結果が獲得できるとは限りません。法律は常に弱者の見方ではなく、時に強者の味方にもなるわけです。それが正義というものだと言えばその通りなのかもしれませんが、金に糸目をつけず証拠や証人をそろえることができるのは強者の特権です。といっても、別に裁判が悪いと言っているわけではありませんが、少なくとも、交渉によって妥協点を見出すにはお互いの主張をよく聞き、相手が反論したいであろう論点に十分配慮し、決定的な対立は双方にとって利得の確保につながらないことを悟らせるのが勘所のようです。感情が先に出てしまうと、時には自分の我を通すことが、かえって得られるべき利得を失ってしまうという、笑うに笑えない結果を招くこともあり、しまいには何のために争っているのかさえ見失ってしまう。「正しいから正義なのではなく、丸く収まっているから正義なのだ」というのがオヤジの持論です。ボクも長年にわたり、「犬も食わない夫婦けんか」ほぼ毎日食べ続けてきたからこそ、オヤジの持論がしっくりくるのかもしれません。いや、あるいはオヤジの方が、もしかしてその昔犬だったのかもしれません。