オヤジの同期会
先日の日曜日、オヤジは高校の同期会に出席するため出かけていきました。昨年の秋には大学の同期会が箱根であり、お母ちゃんも付き添いで出席しました。その顛末についてはすでにお伝えした通りです。高校の同期会は毎年あり、しかもほとんど地元で行われるので、なんとなく出席しています。それでもオヤジは、お母ちゃんに向かって「今年はどうしよう?」と必ず聞きます。すると、お母ちゃんは「出席した方がいいんじゃないですか」と決まってそう答える。オヤジは自分のことなのだから、自分で決めればよさそうなものなのですが、なぜかこうしたパターンで毎年参加が決まります。今では、ちょっとした儀式のようなもので、ボクもあまり気にしていませんが、「嫌なものは絶対いや」といって、テコでも動かないオヤジが、答えが決まっていることを知りながら、なぜわざわざ聞くのだろう。
それは、ズバリ言って、「参加したい気持ち」と「したくない気持ち」が拮抗しているからだと思うのです。同期会の参加に限らず、自分の気持ちが揺れているときは人に背中を押してもらいたいというのがオヤジのやり方のようです。そういえば、オヤジは以前こんなことを言っていました。同期会に出席するやつは、「出世したことを他人に自慢したいやつ」「平々凡々とした生活をしているやつ」「かなり落ち込んでいて、友人に慰めてもらいたいと思っているやつ」「儲け話を聞きだそうという魂胆があるやつ」「特定の誰かに遭うことを期待しているやつ」「自分のやる余興が面白いと信じて疑わないやつ」そして、「特にこれといった動機はないが、誰かに誘われたり背中を押されてふらりと来るやつ」に分類されるという。オヤジは、明らかに最後のタイプであり、本人もそれを自覚しています。
ただし、例外もあるらしい。それは、飛びっきり出世をしたやつ(実際本人がそうおもっているだけ)は、「君たちとは住んでいる世界が違うので、同窓会などというレベルの低い会合には出席できない」というプライドの超高いやつは、学生時代のあだ名で呼ばれたりすることを極端に嫌がり、出席することを拒む。ちなみにこういうやつを引っ張り出すには、大先生の肩書で講演をお願いするといいのだという。こういうスタイルをとると、自分が別次元の人間であるという自尊心が満足できるので、講演料も受け取らないし、場合によってはご祝儀を持ってくることもあるというのだ。オヤジが出席をためらうのは、もしも、こういうやつが間違って出席した場合、「ヨイショ」するのが下手なことだ。しかし、出席してみようと思うのは、やはり、懐かしい顔に会えるのではないかと期待するからだ。