可哀そうなカモ
このところ毎日のように、頭に吹き矢のようなものが刺さったカモがテレビに登場しています。カモは一見するとそれほど痛そうな顔はしていませんが、それだけに、本当はどんなに苦しいのだろうと思うと胸が痛みます。それが、オヤジの生まれ育った石巻での出来事だというので、人一倍憤りを感じているようです。一方で、窪みに落ちて這い上がれなくなった泥だらけの小象を、消防や地元の人たちが協力して、懸命に救出作戦を展開し、無事に救い出した映像や、70mも深い古井戸に落ちた子犬を1週間以上もかけて救出した話題などは心が温まります。カモに吹き矢を放ったと思しき男は、どうやらカモを捕獲する狙いだったようですが、どうしてこのように両極端の人間が存在するのでしょうか? それとも、人間は誰でも心の中に善と悪を抱えていて、置かれている状況により、どちらかの血が騒ぐのでしょうか?
オヤジに言わせると、「良い人」「悪い人」というのはいないという。しかし、「好きな人」「嫌いな人」はいる。だから好きな人には、嫌われないように徹底して善人であるようにふるまうが、嫌いな人には、その人の欠点に注目し、悪人であるというイメージをより浮き彫りにしようとする。それだけならまだ可愛いが、それらの人が集団をなし、ある種の組織が形成されると、その対立構造は決定的なものになり、お互いのアキレス腱を攻撃しあい、相手が右と言えば、こちらは嫌でも左だと主張するようになる。「生きることは戦いだ」などという言葉もあるくらいなので、優勝劣敗は人の常なのかもしれないが、少なくとも、あまりにも理不尽な方法で、カモを痛めつけるのはいただけない。犯人は一日も早く名乗り出て、傷ついたカモを保護し傷の手当をする活動をしてもらいたい。
こういう話をすると、「お前もそうした殺生のお陰で生きているのではないか。きれいごとを言うな!」と言われそうですが、その言葉に対しては残念ながら一言の弁解もできません。ただ、「窮鳥懐に入れば猟師も撃たず」という昔からの諺もあり、カモにしてみれば、遠く旅してきて、ようやく羽をのばして休めようとしているときに、まさかこんな目に遭うなどとは夢にも思っていなかったのではと、考えるのが当たり前のような気がします。カモを吹き矢で襲った男(女)も、そう考えているからこそなかなか名乗り出ないのではないでしょうか。つまり、鳥獣保護法に違反していることを知っていたかどうかもさることながら、こうした殺生はするべきではないという認識があったはずだと言いたいのです。犬や猫に虐待したり、桜の枝をもぎ取ったりするのも同じで、恥ずべき行動です。