ドライなお母ちゃん
オヤジとお母ちゃんの会話は下手な漫才より面白いことがある。この間も、何を思ったのか、オヤジが、私が行く(あの世へ)とき、一緒に行くか? と聞いたところ、「お先にどうぞ行ってらっしゃい」と答えていた。そしてさらに、「帰ってきたら、お帰りなさいといいますから」ともいった。するとオヤジは、意外にもまるでそれでよしとでも言いたそうな顔をして、にやりと笑っていた。その時ボクは少し不思議に思った。なぜかというと、お母ちゃんは日ごろから、「一人になったらどうしよう!」などと将来に不安を感じているような様子が見られたからです。だったら、オヤジといっしょに行ったらよさそうなものですが、具体的にズバリ聞かれると、即座にノーと答える。そして、オヤジは「それを、日頃言っていることと矛盾している」などと攻め立てることはしない。
ボクは、この二人の会話がいつものようなバトルに発展しないのが不思議で、数日考え込んでしまいました。その結果、ある結論に達しました。それは、オヤジもお母ちゃんも、落としどころは同じなんだということです。初めは本音と建前の違いなのかと思ったのですが、「一人になったらどうしよう!」というのも「お先にどうぞ行ってらっしゃい」というのも本音だということです。もしも、お母ちゃんがオヤジに同じ質問をしたら、まったく同じように応えるに違いないと思ったからです。ただ、順当にいけば、オヤジが先に行くことになるので、先に言い出したに過ぎないわけです。ですから、オヤジが弱気になると、お母ちゃんは、「お父さんがいなくなると、けんか相手がいなくなるので寂しい」と言っているのも本音なら、「お先にどうぞ」というのも本音ということです。
つまり、オヤジにしてみれば、お母ちゃんに建前できれいごとを言って欲しくなかったのです。お母ちゃんが、臆することなく即座に本音を言ってくれたことがとても嬉しかったのです。「行ってらっしゃい」や「お帰りなさい」というのも本音に聞こえるところが、なんともお母ちゃんらしい。これがたとえジョークであっても、万一返ってきたときに、「あんた誰?!とか「どちら様?」といわれるのではあまりに悲しい。どこの家庭でもありそうな他愛のない会話ですが、一つ間違えはヒビが入ってしまうことだってあるかもしれません。「遠慮しないで遠慮する」これがわが家のルールです。つまり、ほんの少しだけ遠慮しているように見えるが、本音はきちんと伝える。言ってみれば、「忖度」はないが、「損得」はあるといったところでしょうか。そこがとっても居心地がいい。