もう少しで10年
ボクが旅立ったのは平成20年4月13日でした。ですから、あと4日でちょうど10年になるわけです。思い起こせば、その日は日曜日でしたが雨がしとしと降っていました。前日からボクの容体がわるくなり、お母ちゃんとオヤジが交代で付き添うことになりました。もう二階の寝室でオヤジのベッドに入って眠ることはできなくなっていたからです。夜も更けた11時ごろ、お母ちゃんがオヤジに向かって、「お父さん!すこし交替で寝ないと体がもたないから、先に休んでください」と言いました。オヤジは渋々二階に上がりましたが、少し疲れていたせいかうとうとしたようです。ボクは、もうすぐ終末を迎えることを悟っていたので、最後にもう一度だけ甘えようと思い、最後の力を振り絞って階段の下まで移動し、大きな声でオヤジを呼びました。お母ちゃんも一緒になって叫んでくれました。
オヤジはすぐに降りてきて、もう歩けなくなったボクを布団に戻してくれて、腕枕で添い寝してくれましたが、間もなくその時が来ました。ボクは家族みんなに別れを告げてから息を引き取りました。今考えてみますと、あの日の前日(4月12日)、仙台港の夢メッセで、機械工具の展示会があったので、ボクの歩くのを補助する用具が見つかるかもしれないと思いオヤジは出かけたのです。オヤジは幅が広くて丈夫なベルトのようなものをイメージしていたようですが、どれも帯に短し、たすきに長しで、その日は購入するのをあきらめたようです。オヤジたちも、ボクの命がそう長くないことは感じていたようですが、それでもあきらめずに、散歩をさせてあげようとあれこれ工夫していました。なにしろ、その時はちょうど桜が満開でしたから、みんなで花見をしたかったのでしょう。
花見は叶いませんでしたが、満開の桜の下でだびにふされるのはちょっと風流な感じでした。それに家族全員で見送ってくれたことが、とても心強く感じられました。あの世の住人になったボクですが、その日のうちにオヤジのもとに戻り、以前にもまして快適な暮らしを手に入れることができ、今日に至っています。おかげさまで、どこへ出かけるときも一緒で、何でも遠慮なく話すこともできます。今では、オヤジもボクを頼りにしてくれるので、世の中の出来事をじっくり観察するようになり、いっぱしのコンサルタントになった気分で毎日を過ごしています。毎年、4月の13日には、ボクのお墓参りをしてから、塩竈神社に移動して、だんごや味噌おでんを食べながら、桜吹雪の下で思い出を語り合うというのがわが家のスタイルです。もちろん、その話の真ん中にはいつもボクがいます。