東和町 東陽寺
登米市東和町にある東陽寺は、伊達家の家臣だった原田甲斐ゆかりの寺です。伊達氏の所領が米沢だった時代に原田家の菩提寺として羽後国(山形県)西置賜郡に開山され、伊達家が仙台に移ったときに宮城県の船岡に移りました。その後1681年に現在地に移築されました。寛文11年(1671年)に伊達騒動が起こり、原田甲斐は逆臣とされて首をはねられ、原田家は断絶となりました。
原田甲斐の遺体は家来によって密かに船岡に運び、東陽寺の裏に埋めました。その後、東陽寺が東和町の米谷に移った際、甲斐の首は梵鐘に隠されて運ばれ、本堂の裏に密葬されましたが、世間をはばかって墓石は建てず、目印に銀杏を植えたといわれています。後に、銀杏の大木の前には、原田甲斐の首塚が立てられました。銀杏は三百数十年経って樹高30mとなり、2005年に宮城県の天然記念物に指定されました。
歌舞伎「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)で有名な伊達騒動とは、寛文11年(1671年)、伊達宗重は宗勝の執政を明らかにするため、八か条の訴状をもって幕府に訴えました。時の大老酒井邸で尋問が行われ、柴田朝意・原田甲斐(宗輔)・古内義如が宗重とともに呼ばれ、そこで原田甲斐は宗重を切りつけ殺し、原田甲斐も斬殺されました。その後、幕府は伊達宗勝を松平忠昌に預け、田村宗良を閉門、原田家を断絶し12年にわたる騒動に終止符を打ったという事件です。