遠流志別石神社(おるしべついしじんじゃ)
登米市石越町の遠流志別石神社は、延喜式内社栗原7座のひとつと言われ、古くから石神様と呼ばれ、広範囲にわたって篤く崇拝されてきた神社です。古書によると日本武尊が天照大神から伝わる霊石を祀ったところ、この石が小石を生んで別れたことから「石子石の里」と呼ばれるようになり、石神社の起こりとされ現在の石越の由来となっているという。
これには別の説もあります。神社当方の丘から産出する礫岩が風雨に晒されることで、小石の塊を周囲に散らし、あたかも石が子を産んだように見えるので、自然崇拝であった当時の住民はこれを神として祀ったものと推察されるというものである。遠流志別(おるしべつ)とはアイヌ語で「大きな川の流れの側」という意味だそうです。
江戸時代には荒廃し、記憶も失われていたものを、仙台藩の儒学者が調査した結果、当時の石神明神が延喜式内社の遠流志別石神社と判明しました。本殿の後ろには石に囲われた一画があり、そこに遠流志別石神社の謎を解くヒントがあったということようです。何しろ、遠流志別石神社は古代ロマンにあふれた神社であることは間違いありません。