住吉神社(大嶋神社)
通称住吉神社として石巻市民に親しまれているが、正式には大嶋神社です。平安初期に編纂された「延喜式」に記載された式内社で、石巻の「牡鹿十座(国幣社)」と呼ばれる十社のうちの1社です。石巻地方に式内社が多いのは、奈良時代の律令国家の「エミシ」への植民地支配の最前線として、北上川が戦略的拠点であったことの表れと言われています。
松尾芭蕉が「奥の細道」でここを訪れたという記述もあることで知られていますが、源義経が頼朝に追われて藤原秀衡を頼り、平泉に向かう途中立ち寄り、船賃の代わりに袖を渡したとされる「袖の渡し」としても知られているところです。石灯籠に刻まれている奉納した船主達は、石巻にはない屋号の人もあり、千石船が行き来した様子を窺えます。
石巻のという地名の由来は、住吉神社の目の前にある川に突き出た大きな「巻石」であることは有名ですが、その北上川の由来にもまた歴史を感じさせるものがあります。昔から北上川は「日高見川」と呼ばれていました。この「日高見」は「蝦夷のいるあたり」という意味で、後にこの「日高見」がなまって北上川となったと伝えられています。