縄文人の暮らしぶり
貝塚を丁寧に調べることにより、どんなものを食べ、どんな仕事をして暮らしていたかが次第に明らかになってきました。まず、春は村人総出で潮干狩りをし、とれたアサリを大量に干して作った保存食を他の村との交易品にしました。また、潮の満ち引きを利用してイワシやフグを一網打尽にする囲い込み漁をし、ワカメ、ヒジキなどの海藻採りも行われた。
その一方で、山のコゴミ、ゼンマイ、ワラビなどの山菜を取るなど忙しい毎日を過ごしていたようです。そして、山にフジの花が咲き始まるころには、男たちは丸木舟で外洋に繰り出し、マダイやクロダイを獲り、初夏から秋にかけては大型の釣り針やヤス、モリを使った大型のスズキ、マグロなどの漁を行いました。もちろん、ウニやアワビ、ガザミもこの季節が旬の海の幸でした。
夏場は漁が低調だったため、里浜の縄文人は塩づくりに励みました。海水を土器で煮詰めて塩をとる作業は炎天下の真夏が最も効率が良く、短期間に村人総出で行われました。出来た塩は、塩漬けにした魚とともに遠く山形の村まで運ばれ、石器の材料となる石などと交換されていました。やがて海が荒れる冬になると、男たちは山でシカやイノシシ狩りをするなど、結構忙しいし1年を過ごしていたようです。