関山街道 八幡町から作並そして関山峠
関山街道は、仙台から愛子、作並を通り、奥羽山脈の関山峠を越えて、山形の天童で奥州街道に合流する。現在の国道48号とほぼ重なっており、宮城県側は作並街道とも呼ばれる。仙台城下の関山街道は、奥州街道と二日町で分かれて西に進み、新坂通りから土橋通りを北に迂回して八幡町に至り、八幡町五丁目バス停の所に古碑群が残っている。最初の宿場は愛子宿で、愛子駅前交差点付近に延命地蔵の小さな祠があり、ここが愛子宿の西端だった。秋保方面に行く国道457合を過ぎた少し先で北に折れる道があり道半の集落に入る。坂を下ると広瀬川に至る。大きく曲がる川は河岸段丘の断層を見せ、清流のせせらぎを響かせている。道半の古道の野川橋付近からは田んぼの向こうに、現在の熊ヶ根橋とJR仙山線の鉄橋が遠望できる。野川坂を上ると熊ヶ根宿の旧道だ。旧道沿いには熊ヶ根の地名の由来といわれる熊野神社、塩竃神社に縁のある塩流神社などがある。
熊ヶ根からJR仙山線作並駅を過ぎて国道48号と旧道との分かれ道のところに古碑があり、これが作並宿の東口。西端は作並仙台藩境目番所跡で、作並宿橋のところに碑が立っている。関山峠の坂下境目番所とともに人や物資の出入りを取り締まっていた。旧道は森の中を進み、広瀬川の崖道を下りた川を渡り、再び上がっていくと国道に出る。作並温泉の入口は広瀬川にかかる湯渡戸橋だ。この橋から下方には旧道があった旧湯渡戸橋が見える。作並温泉については「奥州仙台領遠見記」に「湯渡戸」という坂があり、この所ふちに温泉あり」と記されている。温泉宿は、岩松喜惣治が藩の許可を得て1796年に始めた。作並温泉から関山峠までの道は多くの坂や沢を越えて行く。坂下境目番所跡付近からは難所の関山街道嶺渡り古道。4㎞ほど急な坂を登り続けて辿り着く県境の峠は標高812m。4月、5月でも残雪が残る険しい道だが、頂上からは遠く月山を見る眺望が開ける。
もう一つの道は旧国道・関山隧道。明治時代に築造を始めた野蒜港への連絡路として、山形県令の三島通康の命で関山街道に馬車が通れる隧道(トンネル)を開削、明治15年に完成した。従来は人が荷を背負って嶺伝いに歩いていたが、開通後は馬車や荷車で多くの荷を運べるようになった。山形側からは生糸や米、宮城県側からは海産物などが往来、関山は繁栄したという。しかし、現在の国道48号関山トンネル開通により旧トンネルは閉鎖された。関山ン移動の熊ヶ根から作並周辺の見どころは滝。ニッカウヰスキー仙台工場近くには、不動滝が流れる鳳鳴四十八滝。除雪ステーション脇から熊沢林道に入って砂防ダム近く、落差10mほどの熊沢大滝(作並大滝)と日暮れの滝(隠れ滝)がある。そして長い道のりの後に体を癒すのは温泉。作並温泉は回文の里でもあり、リフレッシュして言葉遊びをして見るのも一興だ。