オヤジの昔ばなし
うちのオヤジは、めったに昔話をしない。とっても、昔を懐かしむ心が全くないというわけではないのですが、"昔はよかったというとりとめのない話"には前向きな姿勢が感じられず、進歩が無いように思えるので、どちらかというと好きではないというのが本音のようです。このようにオヤジは、何かにつけて拘りを持つタイプなので、よその人にはちょっと気難しいと思われがちで、特に初対面の人にとってはとっつきにくいように思われがちです。しかし、その実態は面白いことが大好きで、なじみになった人たちとりしてもの間で話すときは、よく冗談を言います。ところがこの冗談がきつく、本人はユーモアのつもりで、かなりひねったブラックユーモアを放ったりしても、時には相手に通じず機嫌を損ねてしまうこともあったそうです。なにしろ、今ではすっかり寛大になったお母ちゃんでさえ、最初は戸惑ったというくらいですから。要するにオヤジは要領が悪い不器用な男というだけのことなのでしょう。それがあるときから開き直って、今ではそういう昔の自分を反面教師として人にアドバイスをしているのですから、人生何があるかわからないものですね!
オヤジの昔ばなしをしようと思ったのが、跳んだ方向にそれてしまいましたが、お話ししようと思ったのは、昔の笹かまぼこの製造方法のことです。オヤジが昭和30年代に町でよく見かけたのは、スケソウタラの身を、お椀を大きくしたような石臼で練り上げている蒲鉾屋さんの作業風景だったそうです。今では蒲鉾などの練製品の原料は船上で加工・冷凍され、工場に持ち込まれると化粧品の製造に用いられる撹拌機をヒントに開発されたというプロペラにより練り上げられます。昔のように石臼で搗く場合は、魚肉の筋線維が痛まないため、出来上がった蒲鉾を食べたときの歯応えが良いといわれますが、プロペラで攪拌されると、魚肉繊維が切断されてしまい、歯応えが落ちるということです。そのため、当店の協力工場では、現在も石臼式を採用しています。もちろん他にも石臼を使用している会社はあるでしょうが、宮城県は笹かまぼこ発祥の地です。オヤジが子供のころには、蒲鉾工場だけではなく、石臼の特許をもった鉄工所もすぐそばにあり、よく遊びに行ったものだということで、それを誇らしく思っているようです。
その当時は、冷凍設備などというものはなく、せいぜい氷で魚の鮮度を保つというのが精一杯でした。ましてや江戸の昔では、捕獲した魚はすぐに港に水揚げされて競りにかけられ、競り落とされるとすぐに工場で加工され製品にされました。生鮮食品は今でも、物価の上昇や下落を判断する品目から外されているのは、需要の上下に伴う価格の変動ではなく、供給、つまり、魚の漁・不良に左右されるためです。魚は人間の都合で漁・不良が決まるのではありませんので、ある時は獲れ過ぎ、またある時は全くの不良ということもしょっちゅうあったようです。そこで、考え出されたのが保存食としての笹蒲鉾だったというわけです。そのほかに干物や塩漬けなどにもしました。昔の人は粋なところがあり、笹に雀という仙台藩の家紋の笹の葉に似ているところから、笹かまと名づけられたということのようですが、オヤジの故郷石巻地方では「べろ(舌の形)蒲鉾」と呼んだそうです。多様な製品の登場により、相対的にその地位が低下傾向にあるやに見受けられますが、根強いファン層は健在です。また、一般的傾向としても、高齢者になるほど笹かまの消費が多いというのも、当店にとっては心強い限りです。