欧州街道 高清水から有壁
奥州街道は、江戸日本橋を起点に宇都宮、白河、福島、仙台、盛岡、青森を経て津軽半島の三厩まで続く日本最長の街道であり、東北各藩の参勤交代や文人墨客の往来で賑わった。概ね現在の国道4号線と重なっている。宮城県内で歩きたいのは栗原市内に残る道だ。高清水から瀬峰にかけての奥州街道は今も往時の景観をよく留めている。国道4号沿いの伊藤ハムデイリー(株)東北工場の少し北から影の沢地区に道を折れると小さな標識が現れる。登っていくと旧奥州街道と彫られた大きな石の道標が立ち、自動車が通れるほどの幅がある街道が続く。
頭上を木々が覆う道、視界が開けて溜池が見える道などを通って行くと力石に着く。力石は前九年の合戦の際、源義家の家臣が大きな石を谷底に投げ込み味方の士気を鼓舞したとの伝説が残る地だ。車道を横切り、長閑な田園風景の中を通り、八沢放牧場の裾を巡ると東北自動車道築館IC付近の国道4号に出る。立ち寄りたい観光スポットもある。旧高清水宿では、日本の名水百選にもなっている桂葉清水、京都紫野から分座された古社・牟良佐喜神社、中世の藤原氏が造営したという欧州善光寺がある。旧築館宿では双林寺(杉薬師)。境内にある瑠璃殿は江戸後期建築の貴重な遺構として市の文化財に指定されている。
金成宿には明治時代の建物が残っている。金成ハリスト正教会は日本初のビザンチン様式の教会建築だ。近くには、洋風様式に和風手法も取り入れた珍しい擬洋風建築の旧金成小学校校舎(歴史民俗資料館)がある。岩手県境の有壁付近の奥州街道は、円通山観音寺の門前を通って肘曲り坂、大沢田坂と続き一関へ入る。旧有壁宿本陣は、松前、八戸、盛岡、一関の藩主や重臣が参勤交代の際に宿泊した。1744年に再建されて現存する建物は、江戸時代の宿駅の様子を伝える貴重な遺構として、奥州街道唯一の国指定史跡となっている。