最上古街道 東北大学植物園から六郷まで
最上古街道は、仙台城を起点として六郷、折立、愛子、秋保・二口、山形、最上へと通じていた。この地は国分氏の領地で、江戸時代以前から往還があった街道である。現在残っている街道跡で、歩くのに適しているのは、東北大学植物園内から東北大学工学部の構内を通り、六郷へ至る道だ。東北大学植物園の本館正面入り口から入園すると、鬱蒼とした森の中を上り下りする最上古街道跡がある。蒙古の碑(蒙古来襲後に当時の陸奥守、講衆の縁者の霊を供養するために建立された板碑)、残月亭跡(伊達家5代藩主吉村が1710年に建築した茶室。
「残月亭」の名を受け継いで明治中期に立てられた茶室が、仙台市博物館の敷地にあり、案内板に解説が記されている。尾根伝いに西へ進む古道が残されており、周囲の木々の自然な景観が美しい。植物園の青葉山ゲートを出て、東北大学工学部、宮城教育大学前から青葉の森内の古街道を辿って六郷地区へ下りていく。東北自動車道宮城IC付近に至ると、六郷御殿跡がある。現在は住宅地となっており、民家の軒先に井戸だけ残っている。4代藩主綱村は1687年、六号に別邸の楽寿園(六郷御殿)を造営した。この館には、城中の姫たちが御裏林を奥に乗って訪れ、遊びに興じたという。
それ以前には2代藩主忠宗や伊達政宗の長女・五郎八姫が徳川家康の六男・松平忠輝に離縁された後、西舘、大梅寺を行き来したという話も伝わる。また、楽寿園や大梅寺は、非常時の一時避難所、軍事基地であった。このため、城から六郷、折立、西館までの最上街道は一般人の通行を禁止した伊達家の専用道路となった。六郷御殿跡の近くには、国分氏の臣下・六郷膳盛元の居城だった六郷城跡(現在は畑になっている)があり、登り口に建武の碑や供養塔、道標が並んでいる。その隣には、国分氏の氏神の宇那襺神社が佇む。足を伸ばして、蕃山の麓にある大梅寺や西道路沿いの西館跡などを尋ねてみてもいいだろう。